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Vol.143 光にかざすと見えるガウディの景色

2017.7.14

 

光にかざすと見えるグエル公園の景色。
柱に支えられた広場の底に埋め込まれた破砕タイルの色が、光に照らされると普通の写真で見るのとはまた違った、色の発し方をしているような気がします。

 

 

このフィルムを貼り付けたようなプラスチック板(以下:プラ板)は、先日三宮の雑貨店で見つけて買ったもの。お店で「何だろう?」とひとつ手に取ってみたのがきっかけでした。

 

 

このようにテーブルの上に置いたり壁に掛けたりすると、光を通さないので暗くて映っているものが見えなくなってしまうのですが、手にとって光にかざすと綺麗に色が浮かび上がってくる……その過程を含めて、私は面白さを感じました。

 

”見えたり見えなかったりする”その按配や、”見るためにわざわざ光にかざす”というひと手間が、私の好奇心を絶妙にくすぐるのだと思います。

 

このプラ板はいくつか種類があり、どれもガウディ作品の景色が映されているのですが、どこか写真を見ているよりも立体的に見えるような気がします。写真もこのプラ板も、平面なものであることに変わりはないのですが、平面なものが光を通すことで、視覚的に色彩に遠近感を感じているのかな〜なんて思えたり。これは私の感覚的な推測なので、全く検討違いなのかもしれませんが(笑)

 

 

同じ景色を映したものでも、アプローチの仕方次第で見え方の感じ方が変わる!ということは、私の中では発見でもありました。

 

 

学生の頃、雑貨店を友人と巡る時には決まって その日を「なんでもないものを買っていい日」に制定していました。

 

“なんでもない”というと聞こえは悪いかもしれませんが「一見なんでもないようで、実際にそうではない」という意味を込めています。
つまりは「なんでもないものを買っていい日」いうことにして、用途の分からないものや、なくても困らないけれど思わず「可愛い!」と心踊ってしまうものを買う時の、ちょっとしたお財布への後ろめたさを緩和していたんだと思います(笑)

 

それは例えば、よく分からない置物だったり、小さくて何を入れられるのか分からない小箱だったり、少しくすんだ色の古いビンだったり、変わった模様の色紙だったり。でも、たとえ機能性がなくとも「見ているだけで癒される」「手に取って眺めるだけでうっとりする」という感情を生んでしまうことは、実は凄いことのようにも思います。

 

誰かにとっては意味のないものでも、また違う誰かにとってはとても意味あるものになる。

 

辞書をひくと「雑」という言葉には、「いろいろなものが入り混じる」であったり「こまごましている」「はっきりと分類できにくい」といった意味があります。それを踏まえると「雑貨」というのは、”日常で使えるもの”という以前にもとを正せば、”カテゴライズ出来ず受け取り側に捉え方をお任せしているもの”なのかもしれません。

 

 

 

 

今回雑貨店で出会ったこのガウディのプラ板。手に取ってしまった瞬間から、私の中での「なんでもないものを買っていい日」が久しぶりに制定され、「グエル公園もいいけど、カサ・バトリョも、カサ・ミラ、サグラダ・ファミリアも良い!」と次々に光にかざした結果、合計12点も勢いでお買い上げしてしまった訳です。

 

「なんでもないものを買っていい日」は、しばらくお休みの予定です(笑)

 

担当:事務

関連記事:Vol.036 ガウディより学ぶ

 

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